「10年10万kmストーリー」アーカイブ(8話〜14話)
いまは無き『NAVI』誌で、1990年3月号から2010年2月号まで、二度にわたって長期連載していた「10年10万kmストーリー」は4冊の単行本にまとめられている。
しかし、まだ収められていないストーリーがたくさんあり、切り抜きを収めたスクラップブックをときどき引っ繰り返してはパラパラやっていると、その後のみなさんの様子が気になってくる。
変わらず元気に過ごしているのか?
まだ乗り続けているのか?
それとも、他のクルマに乗り換えてしまったのか?
目次(読みたい話をクリックしてください)
再掲載をお願いするメールを清野雄一郎さんに送ると、すぐに返信が来た。
それによると、雄一郎さんが乗っていたセフィーロセダンも、父親の満幸さんが乗られていたセフィーロワゴンも、それぞれ2年前と4年前に手放されてしまっていた。
「A33セダンは20万キロを目前にしてエンジンやトランスミッションからのオイル漏れ等のトラブル、故障でやむを得なく手放しました。WA32ワゴンは足回りのヤレに加え、計器類(メーターがすべて動かなくなりました!)、電装部品の故障が目立ち始め、さらに我が家の中で「家族6人で出かけられる車が欲しい!」との声が上がり、当時我が家で一番古WA32が入れ替え対象になりました。そのWA32と入れ替わったのが、C25セレナハイウェイスターです。父以外の家族全員で、半ば強引に車種を決めてしまったような感じでしたが…」
71歳になられた満幸さんはお元気で、セレナハイウェイスターに乗られているそうだ。
「私のA33セフィーロセダンと入れ替わったのが…A33セフィーロセダンです。(笑)またしてもA33、懲りずに買ってしまったのです。“程度のいいセフィーロってないかなあ?”とお世話になっているディーラーの方にお願いしたところ、程度のいい中古車(走行距離はすでに8万キロを超えていましたが…)を見つけていただき、今日に至っております。以前のセフィーロSツーリングは、5MTでスポイラー等がついた「一応」スポーツグレードだったのですが、現在は「20エクシモG」といういわゆる「旦那仕様(笑)」の、ごく普通のグレードです。
このグレードは4ATのみなので、私の心の中の「MT魂」をぐっとこらえつつ、毎日の通勤、ドライブに活躍してもらっています。A33セフィーロ、一言でいえば「本当によくできた車」であると感じています。確かに「華」はないです。最近の新型車と比べ、燃費もそんなにすぐれたものではありません。VDCなどといった最先端の安全装置も付いていません。
しかし、このA33に乗ると、なんとなく安心感があるのです。高速道路、山坂道を走っていても、未だ安心してハンドルを握ることが出来るのです。ドンガラの割によく「走る、曲がる、止まる」ですね。以前、日産自動車がCMコピーで使っていた「あっ、この瞬間が日産車だね。」を感じさせてくれる日産車の1台です。
熱烈な日産車ファンである雄一郎さんは、先日、日産自動車主催の「未体験試乗会」に応募した。会場は横須賀の日産自動車追浜工場にある「GRANDRIVE」。
「私はぜひ一度行ってみたいと思っていましたので、抽選に当たり、ひとり盛り上がっていました。家族は半ば強引に連れていった次第です…」
テストコースで最新の日産車に試乗するという目的と併せて、雄一郎さんにはもう一つ大事な目的があった。
「それは愛車A33セフィーロの“里帰り”です。代々セフィーロは初代の一部グレードを除き、最終型まで追浜工場で生産されていたそうです。追浜工場の駐車場に止めたA33に「久しぶりに帰ってきたけど、どうだ?」と言ってやりたくなりました。会場にいらっしゃった日産関係者の方々と、“最新の日産車”と“里帰りした日産車”の話で盛り上がらせてもらいました。最新の日産GT-R、フーガHV、ノート等などに試乗し「やっぱ、新しい車っていいなあ…GT-R、凄いなあ…フーガHVも速いなあ…」と興奮冷めやらぬ中、帰路、セフィーロのハンドルを握りながら「取りあえず、これでいいかな、まだ…買えないし(笑)」と思う自分がいました」
雄一郎さんのセフィーロは車検を通し、現在走行距離は約14万5千キロ。動かなくなるまで乗るつもりだ。
8話
“技術の日産”に期待している
清野雄一郎さんと日産セフィーロSツーリング(2001年型)
6年 14万7000km
清野満幸さんとセフィーロワゴン25クルージング(1998年型)
9年 13万km
同じクルマをそれぞれ一台づつ、どちらも10万キロ以上乗り続けている親子がいる。
静岡県在住の学習塾講師、清野雄一郎さん(33歳)がセフィーロのセダンに、父親の満幸さん(65歳)はワゴンに乗っている。
どちらも、10万キロ以上だ。
近くだが、それぞれ別の場所に家庭を持ち、クルマを融通し合っているわけではない。こういう親子は、かなり珍しいのではないだろうか。
雄一郎さんにとって、セフィーロは自身で2台目のクルマ。
最初は、中古のブルーバード。11万キロ乗ったところで、オートマチックトランスミッションが1速から3速にギアを飛ばして変速してしまうトラブルが発生し、買い換えを決めた。
「トランスミッションに載せ換えることも考えましたが、おカネが掛かるので止めました」
候補に挙がったクルマは、セフィーロの他、ブルーバード、トヨタ・クレスタ、フォルクスワーゲン・パサート。
どれも、地味な4ドアセダン。20代の若者が、なぜ。
「当時は独身で、スキーに夢中になっていたんです。仲間と一緒に、シーズン中に5、6回は八方尾根や猪苗代などに通っていたから、4ドアは重要な条件でした」
ならば、SUVの方がより好適なのでは?
「SUVは、スキーに行かない時に乗るには大き過ぎるんですよ。日産パトロールやテラノは大き過ぎて、値段も高かった。エクストレイルのような手軽なSUVが当時あったら、考えていたでしょうね」
4ドアセダンだけでなく、その上、5MTという条件も重ねられていた。
「マニュアルは自分で運転している感じがして、楽しい。
オートマは、勝手に動いちゃう感じがして、ダメなんです」
スカイライン・セダンに5MTが設定されていたが、当時のディーラーでは扱いがなく、候補から外れた。
クレスタには4輪駆動版が設定されており、扱っているトヨタ・ディーラーには知人も在籍しており、ちょっと心を動かされた。
「でも、やっぱり“技術の日産”のクルマに乗りたくて。
子供の頃から、何でも頑丈にできていると聞かされてきましたし、日本初や世界初を謳った技術や装備に驚かされたり、笑わされたりしてきましたから。ハハハハッ」
セフィーロは輸出台数が多いだけあって、5人分のヘッドレストや3点式シートベルト、リアフォグライトなどが標準装着されており、安全面での装備が充実していたことが決め手となった。
リアシートの背もたれが分割可倒式であることも、有利に働いた。これならば、ルーフキャリアを取り付けなくともスキー板を積むことができるからだ。実際に経験したことがある人ならばよくわかると思うが、ルーフキャリアなしでスキーを積めると、スゴく得した気持ちになる。
雄一郎さんはスキー行きに万全を期して、寒冷地仕様を注文した。数万円の追加料金で、大容量のバッテリーとヒーター、ヒーテッド・フロントグラス&ミラーが装備される。LSDも追加注文した。
「マニュアルなので、絶対にキャンセルしないで下さいよ」
マニュアルミッションのセフィーロを注文する人などほとんどいなかったので、静岡日産のセールスマンは念を押しながら、雄一郎さんに契約書を差し出した。総額約240万円。ローンを組んだ。
結婚し、ふたりの子供に恵まれた。通勤と休日に使うため、セフィーロには毎日乗っている。両親と一緒に6名で出掛ける時は、奥さんのマーチが出動する。セフィーロが2台揃うことは、ほとんどない。
「歳を取って、眼が悪くなってきたから、運転が面倒臭くなることが増えました。このクルマは運転しやすいのと、荷物が積みやすいのは助かるのですが、最近、ちょっと大きさを持て余すように なりました」
ワゴンのトランクには、ポリタンクが何個か積んである。満幸さんは、富士山の麓へ湧き水を汲みに行く。
「飲んだだけでは水道水との違いはわかりにくいですけど、湧き水でいれたお茶やコーヒーは美味しいんですよ」
2台のセフィーロは、まったくのトラブルフリーだという。何度もふたりに記憶を確めてもらったが、予期せぬトラブルは発生していない。消耗部品を法定点検で交換する程度で済んでいる。
「期待していた通り、しっかりと作られていますよ。頑丈に作られていた頃の日産車です。最近の日産車は、その辺りがわかりません。ティアナなんて、ペナペナでしたから。その上、トップモデル以外のATなんて、いまどき4速ですよ。信じられません」
雄一郎さんは、自分のセフィーロが走行10万キロを越えた時に、ショックアブソーバーを交換した。
「ガラッと変わりました。カーブの曲がり方まで違いましたから」
異音が出始めたセルモーターやエンジンマウントなども交換し、コンディションを回復した。
「節約のために、カーナビやETCなどは自分で取り付けました」
そのために、新型車解説書やサービス技術資料CDなどをヤフーオークションで落札した。車体修復要領書などと併せて、4000円だった。
「子供が小さくて、おカネもないから、簡単に乗り換えられません。ハハハハハハッ。でも、それ以前に、とても気に入っているし、壊れませんからね」
仕方なく乗り続けているのではなく、結果的に、かつて憧れた日産車に乗り続けていることに雄一郎さんは満足している。
一方の満幸さんはといえば、シートがヘタり、ショックアブソーバーの抜け掛かった自分のセフィーロの次を考え始めているようだ。
「眼が悪くなると、ゴルフのパットが入らなくなり、車庫入れが下手になるんです。だから、そろそろ小さなクルマにしたい。ウチはバァバとふたりだから、ミニにでもするかな。この近くにディーラーがあるんですよ」
ミニのように、大人の使用に耐えられる上質な小型車が日本車には少ない。
「ブルーバード・シルフィって、本来のブルーバードとは何の関係もないのに“ブルーバード”を名乗るのは筋が通っていない」
510ブルーバードから日産車を6台乗り継いだ満幸さんよりも、雄一郎さんの方が日産車に思い入れが強くなっていて面白い。
「“技術の日産”なのだから、ハイブリッドもトヨタから技術を購入するのではなくて、独自開発したものを展開して欲しい」
ファンとはありがたいもので、ハイブリッドが難しいのならば、画期的なディーゼルを雄一郎さんは日産に期待している。次世代のパワーユニットと上質な小型車の開発は、日産だけでなくすべての日本の自動車メーカーの課題だ。
『NAVI』誌2007年5月号より転載
●日産セフィーロとは?
1988年に登場した、当時のスカイラインとローレルの兄弟車。したがって、後輪駆動を採用した4ドアセダン。井上陽水が助手席から「みなさん、お元気ですか~」と呼びかけるテレビCFがいろいろと話題になった。1994年に登場した2代目は、マキシマを統合した結果、一転して前輪駆動に変身。欧米やアジアへ広く輸出された日産の世界戦略車となる。2003年に国内向け生産は終了し、ティアナが後を引き継いだ。メカニズムも、キャラクターもコロコロと変わる、日産らしいクルマだった。雄一郎さんのSツーリングが2リッターV6のVQ20DEエンジンを搭載しているのに対して、満幸さんの25クルージングは2.5リッター版のVQ25DEを積んでいる。
9話
200足と1台
大瀧安宏さんとアウトビアンキA112アバルト(1983年型)
25年 7万km
次に来たメールには、以下のように記してあった。
「先日、クルマ屋さんの勧め(車齢)もありタイヤサイズをオリジナル(135/80/13)に替えました。 車を購入してから3~4年位はオリジナル(135/82/13)で乗っていましたがその後165/65/13を2回ほど履き、その後はずーっと155/70/13で過ごしておりました。 今回オリジナルに戻し、たかが2㎝、されど2㎝、やはり細い!!
フロントはともかくリアがかなり細く見えます(まあ慣れるでしょうが)。
取材して頂いたかなり前より、特に高速走行後の渋滞等でパーコレーションが顕著だったのですが、その頃はそれをやり過ごし、空ぶかしを加えていれば元に戻っていたのですが、ここ数年、ほんの少しエンジンが熱くなっただけでパーコレーションが酷く出て、それはもうロデオ状態になってました。
特に今年になってからはどんどん悪化し、4月の車検の際2か月程預けて様子をみてもらい、クルマを引き取った帰り道、人生初の三角表示灯&レッカーのお世話になりクルマ屋へUターン。
預けている間はそこまで酷い状態はなかったそうで、その後電磁ポンプを装着。
今は健康体を取り戻しています(と信じたい)。 車検の度に“どこまでやりますか?”と聞かれますが、ここがヒジョーに難しい所に来ていると思います。
来年で30年になりますが、僕と共に老いてるため、僕にとっては乗り心地、加速、ギアシフト等全く変わらないのですが・・・。
まあ前述のパーコレーションでかなり乗る頻度を少なくしていましたが、これからはもう少し頻繁に付き合っていきたいと思っております」
スニーカーの数は、あれから増えているのだろうか?
大瀧安広さんにメールを差し上げると、「再掲載は急ぎますか?」と返信が来た。もうじきタイヤをオリジナルサイズに戻すので、せっかくだからその画像を撮って送りたいという要望だった。